じゅりーの迷える日々

解離性障害とともに生きているアラサーの雑記

「善意のバタフライ効果」があるかもしれない、と感じた話

こんにちは。じゅりーです。

新年度が始まってそろそろ1か月ですね。激しい気温差に身体的疲労を感じていますが、精神的には元気に過ごせています。

GWは外出自粛期間、本気で積読を解消をしたいと思います!

 

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以前、京都にて。旅行したい…

 

さて、今回は最近あった思いもよらない出来事について、誰かと感情を共有したくなったので記事にすることにしました。今回は予言者への批判でも何でもなく、私の人生の話です。

 

先日、両親と弟夫婦、姪と一緒に実家で食事をしました。弟夫婦はもともと学校の同級生同士で、私は義妹を認識していなかったのですが彼女は私を知っていたそうです。学校って狭い世界ですね。

食事中、義妹が「そういえば、じゅりーちゃんは〇〇って覚えてる?」と聞いてきました。〇〇さんは中学校の同じ部活の後輩で、非常に珍しい苗字だったので記憶に残っていました。

うん、覚えてる。当時は『週刊少年ジャンプ』が何度目かの全盛期だったから、部活の話以外にも漫画やアニメもしたよ、なんて答えました。

すると、どうやら彼女は〇〇さんと幼馴染で、先日偶然会った際に結婚したと話したそうなのです。そこで「新しく△△という苗字になったよ」と話したら、「え、もしかしてじゅりーさんというお姉さんがいる?」と聞かれたと。

「そうだよ。知ってるの?」と彼女が聞くと、その〇〇さんがこう言ったというのです。

 

「中学時代、同じ部活の先輩の中で、じゅりーさんだけがいつも後輩が困ってると絶対に助けてくれたんだよね。面白くて、すごく優しい人だったからずっと覚えてるの。」

 

当時の記憶は曖昧ですが、中学時代の私のことをまだ覚えていてくれて、それをわざわざ伝えてくれたことにも驚きました。

すると母が、「そういえば部活の後輩の子のお母さんから”娘に迎えに行くのが遅れた日、真っ暗な中で皆は帰ってしまったのにじゅりーちゃんだけは一緒に待っていてくれてありがとう”って電話が来たこともあったね」と教えてくれました。

それも残念ながら記憶にありませんが、その女の子とは大学時代に近隣では一番大きなターミナル駅ですれ違ったことがあり、「もしかしてじゅりー先輩ですか!?」と声をかけてくれて、その子の友人グループを待たせながら少々雑談したのを覚えています。おそらく、友人を待たせてまで私と偶然再会できたことを嬉しく感じてくれたのだと思います。

 

その日、もう一人の女の子のことを思い出しました。仮にAちゃんとします。

Aちゃんは典型的な「ヤンキー・ギャルに憧れているけどなりきれていない子」で、学校でカースト外だった(浮いていた)からこそ逆に色んなグループに紛れ込めた私は、ヤンキーグループと話す時に何度か会話したことがあったくらいでした。

ヤンキーの中では、女の子でもギャル系か暴力的なスケバン系かで分かれます。Aちゃんはギャル系ワナビーでしたが残念ながらより上位のギャルがいて、率直に表現すればパシリや取り巻き、という立ち位置だったように記憶しています。

ある日、そのヤンキーグループと休み時間に教室で話していて、バイオレント系のヤンキー女子が「最近テレビを見て覚えた」とAちゃんに柔道の締め技をかけ始めました。最初は冗談かと思ったのですが、技をかけている方は本気で締め落とそうとしていて、Aちゃんが何度も腕をタップしても、私が「素人がやることじゃないから危ない、やめて」と言っても止めてくれませんでした。休み時間だというのに、教室はもはや静まりかえっていました。

Aちゃんはもはや呼吸困難寸前で、どうしようもなくなった私はそのバイオレント系女子に本気のビンタをかまして、失神寸前でAちゃんを解放することができました。すぐに水道に行ってAちゃんに水を飲ませたり口をゆすがせたりして、殴り返される覚悟で教室に戻ったら、ヤンキーグループは何もなかったような顔で放課後にゲームセンターに行こうという話をしていました。

その後特にお礼参りされることもなく、逆にそのバイオレント系の子は絵を描くのが上手だったので、私のノートの表紙にディズニーや漫画のキャラクターのイラストを描いてデコってくれたりもしました(頼んでないけど)。「絵がうまいんだから、美術部に入ったり高校を出たらデザイン系の専門学校に行ったら?」と言ったこともあった気がします。中学卒業以来会っていないので、今何をしてるのかは分かりません。

Aちゃんとは高校が近所だったようで、部活終わりに某アイスクリーム屋さんで再会しました。彼女はそこでアルバイトしていて、行く度にその月限定アイスクリームを「お試し」のスプーンに溢れるほどよそって渡してくれました。

彼女はバイト中・私は部活の友人たちといたので、ろくな会話もできませんしたが、もしかしたら、あのアイスクリームは彼女からの「ありがとう」だったのかもしれません。

 

何度か触れていますが、私は両親から肉体的・精神的に痛めつけられて育ちました。中学時代は特に暴力がひどかった時期で、それゆえトラウマから逃げるためなのか記憶が曖昧です。

3人が覚えている当時の私には、おそらく明確に闘おう・守ろうという意図があったわけではないと思います。ただ、親からひどく痛めつけられていたからこそ、「先輩」や「自分より力が強い」人から、同じような理不尽なことをされている人を見たくなかっただけなのだと推測しています。

ただ、少なくともその3人は、私が何かしたことで「救われた」「優しくしてもらった」という感情を得てくれたと考えるとなんだか誇らしい気持ちになります。「他人に善意を向けすぎる」と両親から指摘されたこともありますが、十数年経っても私の行為を記憶に残してくれている人がいると知れて、人に優しくすることは決して悪いことではないと確信を持てました。自分が抑圧されていた状態で、無価値で怠惰な人間だと感じていた時にでも、誰かの支えになれていたと知ったからです。

 

自分では何の気なしにしたこと・言ったことでも、その後ずっと誰かの記憶に残るということは皆さんにも経験があるはずです。

私にもいくつかそんなものがあり、相手はただ無意識に言っただけの言葉がずっと自分を支えてくれていたり、「私もこんな人になろう」と自己を奮い立たせてくれるものになっていたりします。もちろん、良い言葉だけに限らず悪い言葉もありますが、後者にダークサイドに引っ張られないように前者が働いてくれる時もあります。

 

私がした行動で、誰にどんなことが起こるかは分かりません。それは誰にでも同じことが言えるはずです。

きっとこれからも、誰しもが無意識に、誰かに何らかの影響を与えることがあるでしょう。それが巡り巡って、何かのネガティブな効果を及ぼすこともあり得るでしょうが、反対に他の誰かの救いや自信、勇気になる可能性も当然ながら大いにあるでしょう。

人々の悪意・不安を増長させるような情報ばかりが流れる昨今ですが、今日も世界のどこかで、誰にも気づかれなくとも「善意のバタフライ効果」に起こっていますように、と願います。

 

以上、珍しくセンチメンタルなお話でした。笑

ではでは、またお会いしましょう!

こんな状況ですので、皆さまどうかご自愛くださいね。

 

じゅりー

 

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