「精神的親殺し」のために、むかし通った美容院に行ってきた
お久しぶりです。じゅりーです。
先日、ふと思い立ってこんなツイートをしました。
最近昔の嫌な記憶を吐き出したい気分なので…#虐待サバイバー
— じゅりー(💉×4) (@aaa20201516) 2022年11月8日
あまり認識されてないけど「見た目を整えさせない」も立派な虐待ですよね。
どれくらいかと言うと、私は大学に入ってから友達にドライヤーの使い方を教えてもらいました。
それまで母に「電気代がもったいない」という理由でほとんど→
あの頃の私
このブログでも何度か書いているとおり私はいわゆる「虐待サバイバー」、精神的・肉体的に虐待されながら育ったのですが、もう自立した大人になり自分を取り巻く環境が大きく変わったとはいえ、その程度で惨憺たる過去の記憶が消え失せるわけではないようです。
両親からされて嫌だったことは数えきれないほどありますが、女性である身として特に辛かったのは上記のツイートのとおり、身だしなみを整える権利を奪われていたことでした。着たい服を着せてもらえず、髪も「ドライヤーを使うのはお金がもったいない」という理由で近所の美容院で親の指示で散切り頭にさせられていたので、中学生まで男子と間違われていました。
そこの美容師さんは優しい方で、「そろそろ髪を伸ばしてみようか?」と毎回聞いてくれましたが、髪が短くないまま家に帰ったら殴られるので、いやいやカットを依頼していました。
大学を卒業して親元を離れ、初めて自分で美容院を選んだ時のことを今でも鮮明に覚えています。
それ以前もバイトをしていたので自分で美容院に行けましたが、「ブスが見た目にお金をかけるのは無駄」と教え込まれていたので、髪を切るのにお金をかけたことがバレて罵倒されるのが怖くて他の美容院を選ぶ自信がありませんでした。
そんな心理状態ですから、当時の私にとって美容院はもはや「気づいたらカラフルな錠剤を握らされている渋谷のチャラ箱」みたいな印象でした。
当然ですが美容院は美容院で、みなさまご存知のとおり髪の毛を切ったり見た目を整えてくれる場所なので、行ってみれば何も怖いことはありません。
そこからは髪を染めたりブリーチしてみたり、遅めの大学デビューのように見えたかもしれませんが自分を好みの見た目にする楽しみを覚えました。
心身ともにケアしたいんだ
今では念願のロングヘアをキープして、月に一度美容院でトリートメントをしてもらうのがルーティンになっています。
ただ、そんな今でもふとした瞬間ーダイエットがうまくいかないとか、少し肌荒れしたとかーに過去の嫌な思い出がフラッシュバックしてきて、「両親は正しい。ブスが見た目にお金をかけても無駄」と感じることがあります。
先月は寒暖差もあり身体疲労から精神的にも疲れを感じることが多く、嫌な記憶のフラッシュバックが頻繫に起こることもありました。
そこで思ったのです。
「やはり嫌な記憶を上から書き換え続けないと、このまま一生不快感と付き合わなければならなくなるのだ」と。
ただ美容院に行くだけではなく、自分の外見コンプレックスや自尊心の低さの根源となっているエピソードをもう一度やり直そう、と。
両親との関係にはもう期待できないので、自分でやるしかないのだ、と。
どこから手を付けようかと考えた時、昔通ったあの美容院のことを思い出しました。
髪を伸ばしたいんだとついぞ言えなかった、母親に通わされていた近所の美容院。
「嫌な記憶のリニューアル」の一歩目は、そこに髪を切りに行くことに決めました。
懐かしのあの美容院へ
おそらくその美容院に行くのは10年ぶり。
母がまだ通っているので、予約の電話をしたらもちろん私のことも覚えてくれていました。
お願いしたのは、カットとトリートメント。
カットと言っても長さをそろえる程度で、ロングヘアはキープしたままです。誰から指示もされずにこのお店で髪を切るのは初めて。久々の再会で話も弾みましたが、ブローしてもらいながら「綺麗に伸ばしてるね」と言ってもらえて、心にあったしこりが徐々にほぐされていくのを感じました。
美容院でもネイルケアでも、身だしなみを整えると「自分を大切にしている」のが体感・可視化できるので、心の充足感が大きいように感じるのです。
書き換えの旅はつづく
受け止めたくない事実ですが、「嫌なエピソードのやり直し」は私が死ぬまで続くのだと思います。何かがあるたびに私はまだ落ち込み、意図的に何かを自分がその時望んでいたようにやり直さなければならないのでしょう。
一切の記憶を消すことができない限り、虐待サバイバーの私の人生は反抗期にやりそびれたこの「精神的親殺し」の繰り返しなのだと思います。
私は育成環境や安全な家庭には恵まれませんでしたが、幸いなことに信頼できる友人たちに非常に出会いここまで生きてきました。(でなければアラサーになる前に死んでいたと思います)
これからも自分の手で、時には友人たちの力も借りながら、過去の嫌な思い出を書き換えていかなければならないのでしょう。
昔のことばかり考えて、惨めで虚しい人生だと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、これが私のこの世界を生き残る手段なのだとついに理解したのでした。
おわり!
最近一気に肌寒くなりましたので、みなさまご自愛くださいね。
またお会いしましょう。
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