じゅりーの迷える日々

解離性障害とともに生きているアラサーの雑記

コンプレックスと洗脳

私、自分で自分が大嫌いです。たぶん世界中の人間の中で、2番目に嫌い。一番目が父、3番目が母。

たぶん、パッと見はここまで自己嫌悪に悩まされている惨めな人間には見えてないはずです。色白で背が高くて、正直に言えば結構スタイルが良いし、友人の多い明朗快活な女性を演じられているし、実際そういう評価を受けてると感じます。

でも、どうやっても自分が嫌いです。物心ついた頃から22歳、大学を卒業して実家を出る時まで、ずっと自分かいかに醜くて・頭が悪くて・太っていて・そして人として無価値かを言われ続ける人生だったので。これが、もはや誰にもそう思われていないであろう今でも、私のコンプレックスです。

実家に住んで肉体的・精神的虐待と洗脳を受けてた頃の記憶がほぼないのですが、心も脳も外部から受ける情報をシャットアウトしてたのでしょう。きっと脳の深層には記憶があるんだけど、本能的に思い出させないようにしてくれてるんだと思います。脳は優秀!

学生時代は、虐待の影響であろうストレス性の吃音がひどくて、いつもからかわれてました。自分が無価値であると洗脳されきっていたので、自衛のために周囲に媚びて自虐的な発言をして、当然だけど周りにも「バカにしていい」人間だと思われていました。完全な道化でした。

嫌だと言い返したり、怒ったりすることはできません。なぜなら、それを許される環境にいたことがないからです。何かをすれば5倍の力で殴り返され、自分では使ったこともない言葉で罵倒されるからです。俗に言う「学習的無気力」で、もはや何にも抵抗することはありませんでした。

少ししか残ってない記憶を辿ってみても、しみじみ悲惨な青春時代だったと思います。

なんでこの時に死んでおかなかったんだろう。

f:id:Jurie2754:20190326171140j:image

今はもう少しでアラサーと呼ばれる年代にかかる頃です。

解けない洗脳を受けたまま、これからも生きていることに何の意味があるんだろうかと、いつも思います。大人になると、異性間の付き合いや悪いことがあった時の問題の処し方とか、行動や考え方の端々にちゃんと愛情を受けて育った人間とそうじゃない人間の差を顕著に見ることになるからです。

普通の人たちが何も考えずに享受してきた安心感や愛情が、私に与えられることはもうありません。それがあれば、若年期の人格形成で安定的な自信や自尊心の成長が望めたのかもしれませんが、今からそれをリカバーする方法なんてあるんでしょうか。