じゅりーの迷える日々

解離性障害とともに生きているアラサーの雑記

「家族モノ」が嫌いです

今朝電車で、男の子とそのお父さんが楽しそうに話してるのを見かけたので。

もうタイトルのとおりなんですけど、映画でもドラマでも「家族モノ」が本当に苦手でほとんど見たことがありません。正直、風邪薬とか洗剤のCMですら見たくないです。

大学4年生までは、そういうシーンを見ても、自分に一般的な家庭にあるように見せられてる“情緒的なふれあい”を持った経験がないので、「こんなこと事実じゃない」「映画やドラマはフィクションだから」と思っていました。

でもその4年生の夏、大学で知り合った友人が夏に帰省するとのことで、「両親にじゅりーを紹介したいから、旅行がてら一緒に行かない?」と誘ってくれました。いつもあなたの話をしてるから両親も会いたがってる、と言ってくれて、その子の実家にお邪魔することになりました。

 

夕食をいただきながら、私の自己紹介的なことも話しつつ、大学4年生だったので当然のように就職活動の話になりました。私はすでに内定をもらっていたのですが、友人は業界にこだわりがあって夏になっても就活を続けていました。

私が内定をもらった会社は、「そこで働きたいから」受けたのではなくて、「ここなら受かるだろうと思ったから」受けました。お金をもらえて家を出られれば仕事なんか何でもいいと思ってましたし、早く決めないと両親から「やっぱりお前はバカで価値がないから」と罵倒されると分かっていたからです。

安牌狙いで就活して、案の定内定が出たので、早々に就職活動はやめていました。「内定もらったよ」と言うと、両親からは「へぇ」と言われました。

 

でも友人のご両親は違いました。「このまま決まらなかったら」とか、「皆就活を終えてるので不安だ」などと弱音を吐く友人に対して、彼女のお母様が「あなたなら絶対に大丈夫」「焦らないでがんばりなさい」と言っていました。

全身が冷えきるほどの衝撃を受けました。フィクションであろうと思っていた“情緒的なふれあい”が、自分の目の前にあったからです。つらいことがあれば助けてくれて、慰めてくれて、応援してくれる。これが「正常な家族」なんだと初めて知りました。

よくその場で泣き出さなかったなと自分をほめたいくらいです。その晩は、自分のそれまで過ごした22年間にどれほど“無条件に与えられる愛情”がなかったかを実感して、泣きながら寝たのを覚えています。

 

その時から、家族にフィーチャーした作品がより一層嫌いになりました。映画好きなので「万引き家族」も気になるけど、きっと一生見ないと思います。

映画やCMで見る「幸せな家族」の存在が、決してフィクションじゃないと知ってしまったからです。自分の家族が典型的な「機能不全」で、人格形成に大きな影響のある時期に愛情深い関係を築いた経験もなく、きっとこれからもそんな関係を築けないであろう人生が虚しくて嫌になるからです。

日本は家長制度の歴史が長いからか、無条件に「子は親を慕うもの」だと思わされていると感じます。向こう都合で勝手に産んでおいて、そのうえ愛情まで強要するなんて、つくづく生きるのってつらいなぁと思います。