じゅりーの迷える日々

解離性障害とともに生きているアラサーの雑記

人間関係の断捨離

今日は「人間関係の断捨離」について。

心療内科に行きだしたりして、悪いのは自分じゃなく、育成環境によってそう思わされていたんだと理解できるようになったのは23~24歳の頃です。

それまでは、「こんな無価値な人間を相手にしてくれるのだから、優しさを返さないと」という義務感で他人と付き合っていました。心の中ではその人が嫌いでも、私を利用してると分かってても、表立って嫌悪感を表すことができませんでした。

ですがカウンセリングを受けたり、精神医学や心理学に関する本を色々読んだりして、自分を大切にしてくれる人にだけ気持ちを返せばいいんだと思えるようになりました。

 

そして2016年に、「人間関係の断捨離」をしました。

話は全然合わないけど同じバイトしてたってだけのグループとか、自分が寂しい時だけ連絡してきて自分語りだけして帰っていく子とか、会う時間とお金と労力が無駄だと感じる人とはもう会わないことにしました。その結果、不要なストレスがかなり軽減できたと感じます。

正直、人間の質にもレベルがあります。職業とか年収とかの話ではなくて、今までどのように生きてきて、その結果どのように物事を感じるか・考えるかが、その質に反映されてると思っています。私は自分と同じレベル、もしくは私より素晴らしいと感じる質の人と付き合うことにしようと決めました。

 

人間関係こそ、量より質だと確信しています。ビジネスの世界でも「人脈」という言葉を多用する人がいますが、「血」が通った関係が築けていないなら、それは人脈ではなくただの「顔見知り」です。

大人になっても分かってない人がいるけど、そもそも友達が多いからって自分が好かれてるとは限りません。そのうち何人が本当に心を許せる人でしょうか?悪いことがあった時、間違ったことをした時、何人が親身になって叱咤激励してくれるでしょうか?

その場しのぎの優しい言葉をかけるのは簡単ですし、そうされるのが好きな人もいるでしょう。(彼氏の文句ばかり言ってるのに、別れたら?と言うと渋る女の子とか)

でもそれはただの一時的な現実逃避であって、甘い言葉をかけて慰めてくれる人は、結局のところ問題を抱えた当人がどんな損害を負おうと何の被害も受けません。だから場当たり的な慰めができるんです。

 

だから、これからは私に優しく、そしてもし私に問題が起こったときは悪いところもちゃんと指摘してくれる、本当に「私のことを考えて」くれる人と付き合っていくつもりです。

そんな人たちに優しくしてもらうことで、自分も優しくなれる気がしますし、何より「善意のまわりには善意が集まる」と信じています。